夢と現と『EACH OTHER』
「住の江の 岸による波 よるさえや 夢の通ひ路人 めよくらむ」
住之江の岸に寄せる波の「寄る」に掛けるわけじゃないけれど、
「夜」でさえ人目を気にして夢へも会いには来てくれないんですね。
みたいな意味の歌です。
平安時代、想い人が夢に出てくるのは、
夢の中の道を通って会いに来ていて、現れないのは、
相手の気持ちが弱いからだと考えられていたそうです。
楽しかった頃や幸せだった頃の夢をうっかりみると、
続きを欲して二度寝してしまいます。
そうです、現実逃避です。
当然、成功などしませんが、
だからこそでしょうか、思ってしまいます。
その夢の方が現実だったらいいのになと。
「そう思い出なんて 時が経つほど本当以上に
美しく心に残るから 人は惑わされる」
(『EACH OTHER』槇原敬之)
思い出は美化されてしまうもの、
言葉ではわかってはいるんですけどね。
ボタンの掛け違えは
途中、又は最後まで閉め、ずれていたことに
気付けばやり直します。
でも、もし永遠に気付かなければ?
夢が現実で、現実が夢にならないでしょうか。
そう簡単にはならないですよねぇ(苦笑)