正月の憂鬱、ねばねばハラスメント
小さい頃、母の実家に泊まりに行くのがとても苦痛でした。
彼女は兄弟が多く、年も離れていた為、
1番上のお兄さんの子供の方が、母と年齢が近いという感じ。
いとこや、はとこなど迄集まり、
総勢4,50名の人間でお正月の3日間を、
過ごさねばなりませんでした。
自宅と違い、チャンネル決定権はないので、
テレビは大人がみたい、駅伝なんかがついています。
子供同士で遊ぶよう、親から命令されても、
微妙に他家族と年齢がずれている為、
各グループにうまいこと入れません。
その上、❝協調性に欠ける子❞でお馴染みの私です。
隙をみては父親に「早く帰ろう」と提案をしましたが、
当然、取り合ってはもらえませんでした。
更に追い打ちをかけたのが、食事です。
年を取り、随分とましになりましたが、
好き嫌いの非常に多かった幼少期は、
母の田舎の正月料理、ほとんどを受け付けませんでした。
特に辛かったのが、ねばねば食感のオンパレードです。
正月と言えば、餅です。
餅ばかり出てきます。餅地獄です。
そして、赤飯です。
またモチモチしたものです。
煮物には里芋、朝はご飯でも納豆と生卵が出ます。
3日の朝には「1年風邪をひかなくなる」というウソのもと、
とろろが振る舞われます。
加えて刺身や、一つ食べると胸焼けするような大ぶりな天ぷら等、
まるで私の苦手をわざわざ集めたかのようなラインナップです。
大喜びで餅を食べる他の子供たちを尻目に、
おせちの中でわずかに食べれそうな物
かまぼこなんかを、ほんの少し皿に乗せ、
本家の優しいお嫁さんに小声でご飯をお願いする私。
毎度毎度、それに目くじらを立てる母。
3日の昼前にようやく解放されるまで、憂鬱は続きます。
その後は、お待ちかね、父の実家に行きます。
そちらは比較的町中にあり、
親戚付き合いも母の実家ほど濃密では無かったので、
例年、我が家と祖母たちだけの静かなお正月でした。
御飯も必ず何か出前を取ってくれ、餅の強制もありません。
久々に緊張が解け、おいしい物にありつき、
ついつい食べ過ぎてしまいます。
そんな3日間が終わると大概、胃腸炎を患いました。
お盆やお彼岸後もそうで、
ほぼ7割方、繰り返された流れなのですが、
・母の実家で長時間ストレスにさらされ、物もあまり食べれない
・父の実家でリラックスして急に食物を沢山胃に入れる
・そのせいで、内臓がびっくりする と。
親からすると、本当に厄介な子供だったと思います。
刺身や天ぷらは、むしろ好物になりましたが、
ねばねば・もちもち系はいまだに苦手です。