ゆる~くこだわれ~yuruyurara’s blog~

興味あれこれ、基本どんより。ゆる~いこだわり雑記です

吉野家で目撃した絶望

今でこそ牛丼屋はファーストフード扱いですが、

昔は男性の入るお店というイメージが強く、

敷居の高いものでした。

外食をしない我が家

妹が体の弱い子で、

お店に迷惑を掛けるのを嫌がった親の考えから、

我が家では外食する事がほとんどありませんでした。

成長し家族以外と食事をする機会が増えてから

初めて入るお店は多く、

ファミレスデビューも高校生時代。

メニューの多さに驚きました。

高校の同級生

高校1年の放課後、仲の良かった子と2人、

週3でミスド通いをしていました。

その子は親御さんが夜遅い仕事で、

小さい時から外食が多かったせいか、

なんだか場慣れしたところがありました。

ある日、そんな彼女が、

どうしても食べたいから行ってみようよと

誘ってきたのが、吉野家でした。

華原朋美の発言

それまで牛丼を食べた事がありませんでした

家では母が牛肉を苦手としていたので、

食卓に上る事がなかったからです。

小さい頃大好きだった『キン肉マン』が唄う、

牛丼ひとすじ300年早いのうまいの安いの~

も当然、全く実感はわきませんでした。

また、女性が入りにくい雰囲気もあったので、

友人との外食で選択肢に入る事がありませんでした。

しかし、90年代当時、人気のあった

華原朋美が❝吉野家の牛丼つゆだく❞が好物だと

テレビで言い、それが流行ったお陰で、

男性の食べ物とみなされてきた牛丼は、

急に一般的な食べ物になりました。

吉野家で初牛丼

華原朋美が特別好きだったわけではありませんが、

彼女が広めてくれたイメージのお陰で、

行ってみようかなとなったのは事実です。

女子高生2人は、並盛つゆだくを注文しました。

待っている間、私たち以外、やはり全て男性だったので、

気恥ずかしかったり、照れくさかったり。

なんだか2人とも妙なテンションになり、

笑ってばかりいました。

初めての牛丼は笑いをこらえ、むせながらでしたが、

とても美味しかった記憶があります。

 

外食と言えば牛丼

それでも、今程なお手軽感はまだなかったので、

女子高生が入るには少しハードルが高かった吉野家は、

行きつけとまではなりませんでした。

ですが、しばらくし、異性の友人が出来、

食事はどこに行きたいか問われると、

決まって吉野家と答える位、実は味にハマっていました

食べ物にあまり頓着しない人だったので、

よほど直近で食べていなければ、

特に却下される事もなく、連れて行ってもらえて、

いつも嬉しく思っていました。

吉野家で見た絶望

数年後その友人と、有楽町に買い物に行った際、

駅の近くで吉野家を見つけました。

さすがにその頃は私の中のブームも去っていましたが、

久々に食べてみたくなりました。

銀座も近いし、

何もわざわざ吉牛選ばなくても色々あるのに、

と相手は珍しく渋っていましたが。

私たちが食事を終える間際、

斜め向かいのカウンターに、

若いサラリーマン風の男性が座り、

牛丼大盛りつゆだくを注文しました。

一口目を食べようと丼を持ち上げた次の瞬間、

ガシャン!という音と共に、

手から丼の存在が消えました

もたもた食べていた私、待っていた友人、

それ以外の店内全ても、

動きが止まり視線が一点に集まりました。

そのサラリーマン風男性は、

まだ箸を付けていない丼を、

テーブルに引っ繰り返してしまったのです。

呆然とした表情の後、その方は、

カウンターに突っ伏してしまいました

私たちが見たのはそこまでだったので、

どうなったかはわかりません。

どれ位してから意を決して顔を上げ

どんな思いで店を後にしたのでしょう

もしかしたら、

暴れたりしたのでしょうか、

って、そんなニュースはありませんでしたが。

妄想は膨らみました。

あの店内で突っ伏した男性にタイトルをつけるなら、

絶望❞以外の何物でもないと確信しています。

20数年経った今でも、

鮮やかによみがえる衝撃の光景でした。

現在は一人でどこへでも

若い頃は、恥じらいなどもありましたが、

現在は牛丼屋や、レストラン、飲み屋だろうが、

どんなお店であっても、特に気にもせず、

本当に行きたければ一人で入ります。

むしろ気を遣わず自分のペースでいられるので、

だと思っていたりも。

最初はちょっと不安でしたけど、

まぁ慣れればどうということもないんですよね。